【書評】圧倒的エンタメSF!!ープロジェクト・ヘイルメアリー/アンディ・ウィアー(早川書房)

 

 

本書は、前著『火星の人』が『オデッセイ』(マット・デイモン主演)として映画化されたアンディ・ウィアーの最新作。

『オデッセイ』を観たことのない人のために簡単なあらすじを説明すると、火星探索中のトラブルにより火星に取り残されてしまった主人公が科学に関する様々な知識を使って生き延び、来るかどうかもわからない助けを待つという極限状態サバイバル物。原作である『火星の人』は、元々サラリーマンだったアンディ・ウィアーが自身のブログサイトで連載していたものだが、それがおもしろいと話題になりKindle化したところ3ヶ月で35,000DLを記録した。『プロジェクト・ヘイルメアリー』はそんな彼が書く極限サバイバル物の第二弾だ。

今回の舞台はなんと別の銀河。主人公が目覚めるとそこは地球のある天の川銀河とは異なる銀河を漂う宇宙船。彼はなぜここにいるかも、どうやってここまで来たのかもわからない。現代において人類は未だ銀河間飛行を実現できていないはず…。彼は少しずつ記憶を取り戻していくのだが、そこには人類が発見した驚くべき事実があった。

と、ネタバレはこの辺りにしておくが、本書ではここからさらに驚くべき展開が続く。上下巻合わせるとなかなかのボリュームかもしれないが、テンポ良く明らかになっていくので、読者を飽きさせない。ちょくちょく皮肉も効いた会話も僕は好きだった。(主人公は宇宙船に1人のはずなのになぜ会話劇が存在するのかは読んでからのお楽しみということで。)SFにあまり馴染みのない読者(僕もその1人!)も楽しめるエンタメ要素の強めな仕上がりだと感じた。

本作も既にライアン・ゴズリング主演で映画化が決まっており、僕も絶対に観にいくと決めている。この物語がどう映像化されているのか楽しみで仕方ない。

 

 

【書評】税金と通して歴史を読み直そう!—『税金の世界史』ドミニク・フリスビー 河出書房新社

 

 

本書は、税金を通してたくさんの世界史上の出来事を紐解く、まさに「税金の世界史』、タイトルに偽りなしである。

前半部分は世界史上のさまざまな出来事の背景に税制が影響を与えていたことをみていく。本書を読んで、世界の歴史上の大事件の裏側には、こんなにも当時の税金の在り方が影響していたのかと驚いた。ほとんどすべての戦争、革命、偉大な宗教の始まりには人々を苦しめる税金の影響があったのではとさえ感じてしまう。

後半は、著書が考える理想的な税制が説明され、こんな税制どうだろうかと読者に投げかけられ、自分だったらどんな税制がいいかなと理想の税制を思い浮かべながら読める。

また、本書では全体を通じて、税金に関するトリビア的な豆知識もふんだんに紹介されていて、それらだけでも興味深く読むことができる。

 

税制のライフサイクル

税制が生まれてから死ぬまでには、ある程度の普遍的なライフサイクルがあるらしい。

新たな税金が課されるようになるのは、もちろん政府が資金を必要とする時である。それは、多くの場合、戦争だ。戦争には装備の購入費や物資の輸送など金がかかる。その時はあくまで一時的なものとして導入されるが、その期限はいつのまにか撤廃される。そして税率はじりじりと上がり続ける。一度成立した税金は、人々の生活に大きな影響を与えるが、困った人々が声を上げてもなかなか廃止することはできない。そして、革命や反乱が起きて廃止されるか、民主的な過程で緩和される。

例えば、かつてイングランドには家の窓の数に対してかけられる『窓税』などというものがあった。それは、アイルランド紛争のためにオランダから借りた借金を返すために導入されたものだった。税額は、導入から100年後には3倍になった。人々は税金を逃れるために窓の数を減らしたため、換気が悪くなりコレラチフスなどの伝染病が流行した。

 

インフレ税

人々の財産を奪うという意味では、インフレも立派な税金だという考え方は新鮮だった。

インフレが起こると人々の持つ財産の実質的な価値は下がるというのはもちろんのことだ。だが、しばしばインフレは政府による通貨の切り下げによって、意図的に引き起こされてきた。それは、政府の借金返済や財政支出の拡大のためで、普通に考えれば増税によって賄うべきものだろう。増税の代わりにインフレを意図して引き起こしているのであれば、それならもはやそれは税金と言っていいのではないかと確かに思う。

タチが悪いことに、インフレは労働者にとっては実質賃金の減少、貯蓄の価値の低下とマイナスに働く一方で、金融街や経営者、金融資産をもつ資産家にとってはプラスに働くことである。

政府に返済できないほどの借金があると、いずれこのような解決策が取られるだろう(日本政府の借金を真剣に返すためにはどれだけの増税が必要か考えてみると、解決策としてインフレが挙げられる)。そう考えると、政府の借金を安易に許すよりも、その財政支出は本当に必要なものなのか真剣に議論したうえで、本当に必要なものであれば、増税により賄うべきだろう。ナポレオン戦争時の借金も、増税によっていれば、人々は真剣に必要性を議論し、もっと早くに終わった戦争はきっとあるはずだ。

安易な借金は、安易な戦争を招いた。アダム・スミスも似たような指摘をしていたし、グラッドストンもその半世紀後に同様の発言をしていた。「戦争の資金を借金で調達するやり方は、計画的かつ継続的に国民を欺く大規模な策略である。その結果はずっと先の世にあらわれる。国民は自分が何をしているのかわかっていない。」

おわりに

税制はその社会を表す。歴史上存在した税制を知ると、誰にいくら課税するべきか考えるときに、もっと自由に考えることができる。日本の税制は毎年、少しずつ少しずつ微調整が加えられてはいるが、どうしても固定的な感がある。著者が本書の後半で発表しているように、やわらかい頭でもっと自由に、自分が納得できる税制を考え、ひいては社会の在り方を考えてみるのはいかがだろうか。

【書評】行動経済学を作った2人の儚くも美しい友情ーー『後悔の経済学 世界を変えた苦い友情 /マイケル・ルイス(文春文庫)

 

 

行動経済学は、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーという2人の心理学者によって生まれた。本書は2人の生い立ち、出会い、行動経済学の確立、仲違い、そしてエイモスの死、ダニエルのノーベル賞受賞、その時彼がなにを想ったのかまでを描いている。

行動経済学で1番有名な学者はダニエル・カーネマンだろう。しかし、本書を読むと、エイモス・トヴェルスキーという存在がいなかったら行動経済学という学問は確立していなかった(少なくとももっと後年だったし、それはダニエルによる偉業でなかった)のではないかという気がしてくる。バイアスやヒューリスティックに関する記述があるのはもちろんだが、本書の特徴は2人の友情の不思議さや儚さを描いているところだろう。

行動経済学の歴史は比較的浅い。プロスペクト理論が発表されたのは2000年頃だ。しかもそこから10年程はあまり注目されていない。この新しい学問が経済学が長年前提としてきた人間の合理性を根底からひっくり返した。それだけではない、行動経済学は医療、政治、スポーツのスカウトまであらゆる分野に影響を与えた。今日では書店に行けば、行動経済学に感する本が無数に積まれている。本書を読めば、その行動経済学がどうやって生まれたのかがまるで映画を観ているかのようにわかる。

なんせ作者はあのマイケル・ルイスだ。今回もダニエルを含む関係者への詳細なインタビューに基づいる。面白くないわけがない。

 

対照的な2人の性格

ダニエルは、第一次世界大戦下、ドイツ軍の攻撃を逃れ、家族とともにエルサレムへ移り住む。戦禍を生き延びるために人を信じるなと教えられ、神の存在も友情すらも信じられなくなった経験が、その後の疑り深い性格をつくったのかもしれない。大学教授となったあとも、学生からの評価が不安で落ち着かなくなるほど心配性だった。

一方、エイモスも同じく第一次世界大戦下を生きたが、彼の場合は常に自分を勇敢にみせようしていた。高校を卒業後、イスラエル軍の落下傘部隊に志願する。飛行機からハイになってノリノリで飛び降りる姿を想像してもらいたい。また、他人を論破せずにはいられない性格で、人々が当たり前だと思っていることの矛盾を明らかにすることが好きだった。

本書では多くの場面で2人の対照的な性格を描いている。

ダニエルは子どものときホロコーストを経験した。 エイモスは自信満々のサブラ(生粋のイスラエル人を表すスラング)だった。ダニエルは常に自分は間違っていると思っていた。エイモスは常に自分は正しいと思っていた。 エイモスはどのパーティーに行っ ても主役になる。ダニエルはそもそもパーティーに行かない。

ちなみに、ミシガン大学のディック・ナスベッドがつくったテストは、エイモスと話をし、彼の方が頭がよいというのに気付くのが早いほど、その人の頭がいいというものだ。

プリンストン高等研究所の哲学者アヴィシャイ・マルガリートはこう言う。「どんな話題でも、エイモスが最初に思いつくことは上位10%に入っていた。これは驚くべき才能だ。どんな知的な問題に対しても、最初から非常に明晰で深い反応をするのには度肝を抜かれた。どんな議論でも、すぐにその中心になってしまうようだった。」

一体エイモスの頭脳明晰さはどれだけほどのものだったのだろうか。

 

2人の研究スタイル

ダニエルが日常生活の中で気づいたバイアスをエイモスに話し、エイモスがそれを発展させていった。多くのバイアスやヒューリスティックはダニエルがきっかけで生まれた(少なくともダニエル本人はそう記憶している)。しかし、2人の研究はどちらの成果と明確にわかることはできず、論文を書いた時のダニエルとエイモスのどちらの名前を先にもってくるかはいつもコインで決めていた。どちらの手柄かということに2人とも興味がなかったのである。ただ、一緒に部屋にこもって談笑しながら、これまで誰もが疑わなかった人間の合理性について話し合えればよかった。そのようにして、2人は人間の判断や記憶に系統的なクセが存在することを明らかにしていった。

二人が座って何かを書いているときは、物理的にほとんど一つになっていて、たまたまそれを見た数少ない人たちの目には奇異に映った。「彼らはタイプライターを前に、となり同士に座って書いていた」と、ミシガン大学の心理学者リチャード・ニスベット は言う。「わたしには考えられなかった。それは他人に歯を磨いてもらうようなものじ ゃないか」。だがダニエルに言わせると「わたしたちは頭脳を共有していた」というこ とだった。

 

すれ違い

世間はまずエイモスを評価した(彼が社交的で自分の優秀さを惜しげもなくアピールする性格であったことも影響と思われる)。常にダニエルと2人で研究していたにもかかわらず、エイモスだけが評価されたのだ。これに対し、当然エイモスは反論する。

「研究をした二人組の一人にだけ賞を与えるなんてそれが二人の協力体制に対して、どれほど大きな打撃になるかわかってるのか?」

「しかしこれらのアイデアは、ダニエルとの議論から発展したものなので、両方の名前を書くか、(それが不自然に思えるなら)わたしの名前も削るべきだ」

ある本を書いた著者は、イスラエル空軍の飛行教官が持っていた、パイロットを叱ったあとは成績がよくなるという誤った感覚を指摘したことについて、エイモスを賞賛していた。「わたしは"トヴェルスキー効果"という呼び方に違和感を持ちました」と、エイモスはこの著者に手紙を書いた。「この研究はわたしの長年の友人であり同僚であダニエル・カーネマンとの協力で行なったものなので、わたしだけの名前をつけるべきではないのです。実際のところ、このパイロット訓練中の効果に気づいまたのはダニエル・カーネマンであり、この現象を発見した人に由来する名をつけるならカーネマン効果"とするべきです」

エイモスはこんなにも自分だけが評価されることについて不満を抱いているのに、ダニエルに対しても同情する素振りは見せない。ダニエルを自身が務める大学での職に推薦するようなこともしない。自分がダニエルだったらそんなことされたくないと考えたのだ。これに対しダニエルは素直に不満を抱く。エイモスの振る舞いの裏の意味を汲み取ったり、想像したりすることは彼にはできない。まるですれ違う恋人たちのドラマでも観ているようではないか。

ダニエルが新たな恋人に夢中になるなどもあって、2人が笑いあいながら研究する時間が減っていく。しかし、2人の仲がうまくいかないのは当然といえば当然だろう。そもそも全くタイプの違う2人が、夫婦のような関係を築けていたこと自体が奇跡的なことで、周囲の人たちからすれば最初から2人の友情が不思議で仕方なかった。

 

そして、エイモスの死

ダニエルが2人での研究に嫌気がさしていたころ、エイモスは余命宣告を受ける。死が近いことはごく僅かな人にだけ伝えた。当時関係が決していいとは言えなかったダニエルにも2番目に伝えている。彼にとってダニエルはやはり特別な存在だったのだろう。エイモスから連絡を受けた誰もが死が近いことを感じさせなかった。

人生は本だ。短い本がよくないということはない。わたしの人生はとてもいい本だった。

最後まで、弱みを見せず勇敢でいたかった人だったのだろう。

 

本書は行動経済学の確立した2人の美しくも儚い友情の物語だ。行動経済学というとどうしてもダニエル・カーネマンの存在が先行しがちだが、その裏にエイモス・トヴェルスキーという天才の存在がいたことを忘れないで欲しい。彼は自由人で、好戦的で、決して素直な人間ではなかったかもしれないが、マイケル・ルイスの描く彼の人物像からは、きっと常にダニエルの気持ちを気にかけていたと私は想像する。

2人が明らかにした人間の脳のクセについて知りたい人は『ファスト&スロー』も併せて読んで欲しい。一般向けに書かれた本であり、簡単な確率の知識があれば十分楽しめるだろう。2人が考案した実験について詳細に書かれており、質問を読んで自分だったらどう回答するか考えながら読むと楽しかった。

 

 

 

 

 

 

 

【書評】全てを話すな!『一番伝わる説明の順番』/田中耕比古

一番伝わる説明の順番

 

一番伝わる説明の順番はこれ!

 

①前提を揃える

自分と相手に前提知識に差がある場合には、そのギャップを埋める。

前提知識に差があるのに説明しても伝わるものも伝わらない。

話の範囲つまり、どこまで説明するのかについての認識についても相手と共有する。

 

②結論・主張・本質

結論は一言で言えなければならない。

自分が伝えたいことをとことん掘り下げ、何を伝えたいのか明確にする。

何が幹で何が枝葉であるかを見極めることが大事である。全てを話そうとしてはいけない。相手がどの粒度で知りたがっているかしっかり考える。

 

③根拠・理由・事実

ここは、事実ベースで。

 

④補足

②以外はすべて補足情報である。そのくらい②は短くシンプルに。

 

⑤結論・相手に促したいアクション

結論を最後にもう一度伝える。

相手に促したいアクションは、一番最初に伝えておくと相手は話を聞きやすい。

 

 

説明の前にすべきこと

  • 相手が何を知りたいのか考える

相手が知りたいのは、「事実」か自分の「解釈」か

相手は「どこまで」知りたいのか(どの範囲まで?どの粒度で?)

  • 自分が何を伝えたいのか考える

とにかくシンプルに!(純化、クリスタライズ)

  • 情報のギャップを考える

相手が知りたいことと自分が伝えたいことにギャップはないか。

  • ギャップをどうやって埋めるか考える。

あなたの知りたいことに、私の伝えたいことは関係しますよ~」というロジック。

 

その他の学び

  • 自分が考えた順番、自分が経験した順番で話してはいけない

網羅的になりすぎる

最後まで聞かないと何が言いたいのかわからない

似たような項目の話が散る

  • 説明が失敗する理由の多くは自分で何が言いたいのかわかっていない

大事なのは、なによりもまず徹底的に調べること

【書評】『平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学』トッド・ローズ 小坂恵理:訳 早川書房

 

   

 

 平均身長、平均年収、平均結婚年齢・・・と世の中には平均で溢れかえっている。そして、私たちは平均~という言葉が目に入る度に、「自分は平均と比べてどうか」と考えずにはいられない。それは、平均という概念が誕生して以来、現代社会の至る所にまでしみわたり、私たちの思考まで気づかないうちに「平均主義」で侵されてしまっているからである。本書は、我々が陥っている「平均の罠」を解き明かし、個人がよりよい人生を送るための思考法を提示してくれている。

 

 今日、雇用・教育・キャリアパス・人生設計など様々場面で平均を基準に評価し、無数の意思決定が行われているが、本書ではその意思決定が期待している結果を招かない(それどころか真逆結果をもたらしてしまった)ケースが多分に紹介されている。平均思考が陥る一元的思考、本質主義的、規範的思考の弊害を指摘している。さらには、従来の平均思考的採用活動から脱却し成功を収めた企業の事例を交えながら、後半部分では、あらたな教育制度の在り方についても提言している。

 

 これまでの教育では、何かを習得するためには、まず~を習得し、次に~、それができたら~と一本の梯子を登っていくように、標準的な学習ペースに基づいた単一のカリキュラムが行われてきた。しかし、著者は個々の人間が学習するプロセスは信じられないほどのバラエティに富んでいると指摘する。パプアニューギニアの先住民のアウ族の赤ちゃんはハイハイをせずに立つようになるし、うつ病の回復過程にも標準的な経路はなかった。物事の習得の仕方に、標準的なルートや最短ルートがあると我々が思い込んでいるだけなのだ。さらに言えば、習得のスピードだって早ければいいものではない。通常、学校では、同じテストの結果でも短い時間で習得できたほうが優秀とされる。しかし、個人の人生においては、「できるようになる」こと自体になによりも価値があり、そのスピードは大した問題ではない。それを問題にするのはテイラー主義的な資本主義とその忠実な労働者生産工場である教育の場だけである。

 

 これまで個人の能力は、学歴や経歴が重視され、単一的な指標で評価されてきた。これでは発揮できる能力があるのに見落とされてしまう人たちが多く生まれ、個人にとってはもちろんのこと、企業にとっても不幸な結果を招く。近年、これまでの評価基準から脱却し、個性を重視し始めた企業が結果を出し始めている。そもそも既存の評価基準によるトップクラスの層は、新興企業には入らない。彼らは生き残るために発想を転換させたのだ。組織に個人を適応させるのではく、個人の能力が最大限に発揮される場所探しを推奨する。その時、標準的なキャリアパスなど不要だ。

 コストコは従業員のキャリアパスの決定を本人に委ね、やりがいをもって生き生きと働らける環境づくりを重視する。入社当時経理部で配属された女性は、今ではイタリアの栽培品種に影響力を持つ世界屈指のワインのバイヤーになった。コストコの管理職は70%がカート整理かレジ打ち出身だ。インド最大のSaaS大手ゾーホー・コーポレーションは学歴なない貧困地区出身の人々にプログラミング等を教える大学を設立した。学校での成績とプログラマーとしての資質には相関関係がないことに自身の弟を見て気づいた。いまではゾーホーで働くプログラマーの15%以上がゾーホー大学の出身である。ゾーホーは新興ながら急成長し、警戒したセールスフォースが過去にゾーホーを買収しようとしたが、ビジネス思想の相違から決裂した。

 

 著者のトッド・ローズは、心理学者で、自身も既存の教育・雇用の枠組みの中で、不遇な経験を強いられた一人だ。18歳で高校を中退した時のGPAは0.9(2.3以下は勉強不足とされる)だった。最低賃金での職に10個ついている。その後、働きながら学歴を積み上げハーバード教育院の教員となるが、一時は生活保護まで受けていた。


The Myth of Average: Todd Rose at TEDxSonomaCounty

 

 本書は、間違いなく多くの人に新鮮な風をもたらし、自由な価値観・人生観で気持ちを軽くしてくれる。「人よりも習得に時間がかかってもいいじゃないか、そんなこと自分の能力を最大限に発揮できることに比べれば大きな問題じゃない」と新しい何かにチャレンジしたくなる。子供の育て方、自身のキャリアデザインに悩む人、従業員の雇用・育成に頭を悩ませる人、自己肯定感をいまいち築けずにいる人に、ぜひ一度読んでもらいたい。

 

 

【書評】『神経ハイジャック』マットリヒテル

自動車の運転中、なにかに気を取られてヒヤリとした経験は誰にでもあるはずだ。

 

それは、道路沿いのある看板かもしれないし、カーナビを操作中かもしれない。はたまた、飲みものを飲んだ直後かもしれないし、道を歩くきれいな女性に気を取られた時かもしれない。

そして、これらのどれにもまして携帯電話の使用は運転者の注意を強力に惹きつける。

 

2008年頃のアメリカでは、ほとんどの州において、運転中の携帯電話の使用は刑事罰の対象ではなかった。

正義感の強いある警察官が、立件に向けて動き出すも、前例もなければ、量刑もどの法律を適用すればよいのかもわからない。

物語はそんな状況の社会で始まる。

 

モルモン教の布教が夢だという地元じゃ評判の好青年レジ-・ショーが起こした事故は、当時のアメリカで普通に起きていたありきたりな交通事故の一つに過ぎなかったのかもしれない。

しかし、自分の起こした事故と向き合い、人生をかけて贖罪を続ける彼の活動や、被害者家族とその支援者、裁判官、検察官それぞれが彼を通して自身の正義を問い直して動いたことで、アメリカ社会の不注意運転についての状況は少しずつであるが、変わりつつある。

 

神経ハイジャック――もしも「注意力」が奪われたら

神経ハイジャック――もしも「注意力」が奪われたら

 

 著者は、自動車の不注意運転に警鐘を鳴らすニューヨーク・タイムズ紙での一連の記事で、2010年にピュリツァー賞(国内報道部門)を受賞した。

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テクノロジーが人間の注意力に対していかに強力な影響を与えるのか、マルチタスクがいかに人間のパフォーマンスを低下させるか、アテンションサイエンスに関する当時の最新の科学的知見が随所に紹介されている。

 

また、その結果としていかに簡単に一瞬で多くの人の人生を大きく変えてしまうのかについて、登場人物の一人一人の人生を詳細に追いながら描いている。

時間の加害者、被害者、そのどちらもの家族、被害者家族の支援者、目撃者、警察官、州判事、そして郡検事、それぞれの生い立ち・幼少期のトラウマ・価値観を丁寧に描き、見事な人間ドラマとなっている。

 

本書の執筆にあたっては、著者による入念な取材に基づいている。対象は警察の報告書、裁判記録のほか、本人たちへの対面・電話による詳細なインタビューに基づいており、彼ら彼女らから提供を受けた個人的なメモにまで及んでいる。

社会的意義のある報道とはいえ、信頼関係の構築がなければそれらの提供はなかっただろう。そして、レジー・ショーによる公開の許可がなければ、本書の完成がなかったことは言うまでもない。