【書評】行動経済学を作った2人の儚くも美しい友情ーー『後悔の経済学 世界を変えた苦い友情 /マイケル・ルイス(文春文庫)

 

 

行動経済学は、ダニエル・カーネマンとエイモス・トヴェルスキーという2人の心理学者によって生まれた。本書は2人の生い立ち、出会い、行動経済学の確立、仲違い、そしてエイモスの死、ダニエルのノーベル賞受賞、その時彼がなにを想ったのかまでを描いている。

行動経済学で1番有名な学者はダニエル・カーネマンだろう。しかし、本書を読むと、エイモス・トヴェルスキーという存在がいなかったら行動経済学という学問は確立していなかった(少なくとももっと後年だったし、それはダニエルによる偉業でなかった)のではないかという気がしてくる。バイアスやヒューリスティックに関する記述があるのはもちろんだが、本書の特徴は2人の友情の不思議さや儚さを描いているところだろう。

行動経済学の歴史は比較的浅い。プロスペクト理論が発表されたのは2000年頃だ。しかもそこから10年程はあまり注目されていない。この新しい学問が経済学が長年前提としてきた人間の合理性を根底からひっくり返した。それだけではない、行動経済学は医療、政治、スポーツのスカウトまであらゆる分野に影響を与えた。今日では書店に行けば、行動経済学に感する本が無数に積まれている。本書を読めば、その行動経済学がどうやって生まれたのかがまるで映画を観ているかのようにわかる。

なんせ作者はあのマイケル・ルイスだ。今回もダニエルを含む関係者への詳細なインタビューに基づいる。面白くないわけがない。

 

対照的な2人の性格

ダニエルは、第一次世界大戦下、ドイツ軍の攻撃を逃れ、家族とともにエルサレムへ移り住む。戦禍を生き延びるために人を信じるなと教えられ、神の存在も友情すらも信じられなくなった経験が、その後の疑り深い性格をつくったのかもしれない。大学教授となったあとも、学生からの評価が不安で落ち着かなくなるほど心配性だった。

一方、エイモスも同じく第一次世界大戦下を生きたが、彼の場合は常に自分を勇敢にみせようしていた。高校を卒業後、イスラエル軍の落下傘部隊に志願する。飛行機からハイになってノリノリで飛び降りる姿を想像してもらいたい。また、他人を論破せずにはいられない性格で、人々が当たり前だと思っていることの矛盾を明らかにすることが好きだった。

本書では多くの場面で2人の対照的な性格を描いている。

ダニエルは子どものときホロコーストを経験した。 エイモスは自信満々のサブラ(生粋のイスラエル人を表すスラング)だった。ダニエルは常に自分は間違っていると思っていた。エイモスは常に自分は正しいと思っていた。 エイモスはどのパーティーに行っ ても主役になる。ダニエルはそもそもパーティーに行かない。

ちなみに、ミシガン大学のディック・ナスベッドがつくったテストは、エイモスと話をし、彼の方が頭がよいというのに気付くのが早いほど、その人の頭がいいというものだ。

プリンストン高等研究所の哲学者アヴィシャイ・マルガリートはこう言う。「どんな話題でも、エイモスが最初に思いつくことは上位10%に入っていた。これは驚くべき才能だ。どんな知的な問題に対しても、最初から非常に明晰で深い反応をするのには度肝を抜かれた。どんな議論でも、すぐにその中心になってしまうようだった。」

一体エイモスの頭脳明晰さはどれだけほどのものだったのだろうか。

 

2人の研究スタイル

ダニエルが日常生活の中で気づいたバイアスをエイモスに話し、エイモスがそれを発展させていった。多くのバイアスやヒューリスティックはダニエルがきっかけで生まれた(少なくともダニエル本人はそう記憶している)。しかし、2人の研究はどちらの成果と明確にわかることはできず、論文を書いた時のダニエルとエイモスのどちらの名前を先にもってくるかはいつもコインで決めていた。どちらの手柄かということに2人とも興味がなかったのである。ただ、一緒に部屋にこもって談笑しながら、これまで誰もが疑わなかった人間の合理性について話し合えればよかった。そのようにして、2人は人間の判断や記憶に系統的なクセが存在することを明らかにしていった。

二人が座って何かを書いているときは、物理的にほとんど一つになっていて、たまたまそれを見た数少ない人たちの目には奇異に映った。「彼らはタイプライターを前に、となり同士に座って書いていた」と、ミシガン大学の心理学者リチャード・ニスベット は言う。「わたしには考えられなかった。それは他人に歯を磨いてもらうようなものじ ゃないか」。だがダニエルに言わせると「わたしたちは頭脳を共有していた」というこ とだった。

 

すれ違い

世間はまずエイモスを評価した(彼が社交的で自分の優秀さを惜しげもなくアピールする性格であったことも影響と思われる)。常にダニエルと2人で研究していたにもかかわらず、エイモスだけが評価されたのだ。これに対し、当然エイモスは反論する。

「研究をした二人組の一人にだけ賞を与えるなんてそれが二人の協力体制に対して、どれほど大きな打撃になるかわかってるのか?」

「しかしこれらのアイデアは、ダニエルとの議論から発展したものなので、両方の名前を書くか、(それが不自然に思えるなら)わたしの名前も削るべきだ」

ある本を書いた著者は、イスラエル空軍の飛行教官が持っていた、パイロットを叱ったあとは成績がよくなるという誤った感覚を指摘したことについて、エイモスを賞賛していた。「わたしは"トヴェルスキー効果"という呼び方に違和感を持ちました」と、エイモスはこの著者に手紙を書いた。「この研究はわたしの長年の友人であり同僚であダニエル・カーネマンとの協力で行なったものなので、わたしだけの名前をつけるべきではないのです。実際のところ、このパイロット訓練中の効果に気づいまたのはダニエル・カーネマンであり、この現象を発見した人に由来する名をつけるならカーネマン効果"とするべきです」

エイモスはこんなにも自分だけが評価されることについて不満を抱いているのに、ダニエルに対しても同情する素振りは見せない。ダニエルを自身が務める大学での職に推薦するようなこともしない。自分がダニエルだったらそんなことされたくないと考えたのだ。これに対しダニエルは素直に不満を抱く。エイモスの振る舞いの裏の意味を汲み取ったり、想像したりすることは彼にはできない。まるですれ違う恋人たちのドラマでも観ているようではないか。

ダニエルが新たな恋人に夢中になるなどもあって、2人が笑いあいながら研究する時間が減っていく。しかし、2人の仲がうまくいかないのは当然といえば当然だろう。そもそも全くタイプの違う2人が、夫婦のような関係を築けていたこと自体が奇跡的なことで、周囲の人たちからすれば最初から2人の友情が不思議で仕方なかった。

 

そして、エイモスの死

ダニエルが2人での研究に嫌気がさしていたころ、エイモスは余命宣告を受ける。死が近いことはごく僅かな人にだけ伝えた。当時関係が決していいとは言えなかったダニエルにも2番目に伝えている。彼にとってダニエルはやはり特別な存在だったのだろう。エイモスから連絡を受けた誰もが死が近いことを感じさせなかった。

人生は本だ。短い本がよくないということはない。わたしの人生はとてもいい本だった。

最後まで、弱みを見せず勇敢でいたかった人だったのだろう。

 

本書は行動経済学の確立した2人の美しくも儚い友情の物語だ。行動経済学というとどうしてもダニエル・カーネマンの存在が先行しがちだが、その裏にエイモス・トヴェルスキーという天才の存在がいたことを忘れないで欲しい。彼は自由人で、好戦的で、決して素直な人間ではなかったかもしれないが、マイケル・ルイスの描く彼の人物像からは、きっと常にダニエルの気持ちを気にかけていたと私は想像する。

2人が明らかにした人間の脳のクセについて知りたい人は『ファスト&スロー』も併せて読んで欲しい。一般向けに書かれた本であり、簡単な確率の知識があれば十分楽しめるだろう。2人が考案した実験について詳細に書かれており、質問を読んで自分だったらどう回答するか考えながら読むと楽しかった。