【書評】『平均思考は捨てなさい 出る杭を伸ばす個の科学』トッド・ローズ 小坂恵理:訳 早川書房

 

   

 

 平均身長、平均年収、平均結婚年齢・・・と世の中には平均で溢れかえっている。そして、私たちは平均~という言葉が目に入る度に、「自分は平均と比べてどうか」と考えずにはいられない。それは、平均という概念が誕生して以来、現代社会の至る所にまでしみわたり、私たちの思考まで気づかないうちに「平均主義」で侵されてしまっているからである。本書は、我々が陥っている「平均の罠」を解き明かし、個人がよりよい人生を送るための思考法を提示してくれている。

 

 今日、雇用・教育・キャリアパス・人生設計など様々場面で平均を基準に評価し、無数の意思決定が行われているが、本書ではその意思決定が期待している結果を招かない(それどころか真逆結果をもたらしてしまった)ケースが多分に紹介されている。平均思考が陥る一元的思考、本質主義的、規範的思考の弊害を指摘している。さらには、従来の平均思考的採用活動から脱却し成功を収めた企業の事例を交えながら、後半部分では、あらたな教育制度の在り方についても提言している。

 

 これまでの教育では、何かを習得するためには、まず~を習得し、次に~、それができたら~と一本の梯子を登っていくように、標準的な学習ペースに基づいた単一のカリキュラムが行われてきた。しかし、著者は個々の人間が学習するプロセスは信じられないほどのバラエティに富んでいると指摘する。パプアニューギニアの先住民のアウ族の赤ちゃんはハイハイをせずに立つようになるし、うつ病の回復過程にも標準的な経路はなかった。物事の習得の仕方に、標準的なルートや最短ルートがあると我々が思い込んでいるだけなのだ。さらに言えば、習得のスピードだって早ければいいものではない。通常、学校では、同じテストの結果でも短い時間で習得できたほうが優秀とされる。しかし、個人の人生においては、「できるようになる」こと自体になによりも価値があり、そのスピードは大した問題ではない。それを問題にするのはテイラー主義的な資本主義とその忠実な労働者生産工場である教育の場だけである。

 

 これまで個人の能力は、学歴や経歴が重視され、単一的な指標で評価されてきた。これでは発揮できる能力があるのに見落とされてしまう人たちが多く生まれ、個人にとってはもちろんのこと、企業にとっても不幸な結果を招く。近年、これまでの評価基準から脱却し、個性を重視し始めた企業が結果を出し始めている。そもそも既存の評価基準によるトップクラスの層は、新興企業には入らない。彼らは生き残るために発想を転換させたのだ。組織に個人を適応させるのではく、個人の能力が最大限に発揮される場所探しを推奨する。その時、標準的なキャリアパスなど不要だ。

 コストコは従業員のキャリアパスの決定を本人に委ね、やりがいをもって生き生きと働らける環境づくりを重視する。入社当時経理部で配属された女性は、今ではイタリアの栽培品種に影響力を持つ世界屈指のワインのバイヤーになった。コストコの管理職は70%がカート整理かレジ打ち出身だ。インド最大のSaaS大手ゾーホー・コーポレーションは学歴なない貧困地区出身の人々にプログラミング等を教える大学を設立した。学校での成績とプログラマーとしての資質には相関関係がないことに自身の弟を見て気づいた。いまではゾーホーで働くプログラマーの15%以上がゾーホー大学の出身である。ゾーホーは新興ながら急成長し、警戒したセールスフォースが過去にゾーホーを買収しようとしたが、ビジネス思想の相違から決裂した。

 

 著者のトッド・ローズは、心理学者で、自身も既存の教育・雇用の枠組みの中で、不遇な経験を強いられた一人だ。18歳で高校を中退した時のGPAは0.9(2.3以下は勉強不足とされる)だった。最低賃金での職に10個ついている。その後、働きながら学歴を積み上げハーバード教育院の教員となるが、一時は生活保護まで受けていた。


The Myth of Average: Todd Rose at TEDxSonomaCounty

 

 本書は、間違いなく多くの人に新鮮な風をもたらし、自由な価値観・人生観で気持ちを軽くしてくれる。「人よりも習得に時間がかかってもいいじゃないか、そんなこと自分の能力を最大限に発揮できることに比べれば大きな問題じゃない」と新しい何かにチャレンジしたくなる。子供の育て方、自身のキャリアデザインに悩む人、従業員の雇用・育成に頭を悩ませる人、自己肯定感をいまいち築けずにいる人に、ぜひ一度読んでもらいたい。